12月20日

推しとか占いとか誰にも言えない心内とか

すぐに忘れちゃう本質的なこと

死ぬときに公開したくねぇ!

 

ゴッホを最近よく意識する。

なんでかなぁとおもってたけど、今日やっとわかりました。

 


ゴッホ神職者になりたかったがなれず、ずっと絵を描き続けて、お金のことは弟に頼りっぱなし、同じ画家仲間のゴーギャンとの生活もうまくいかず精神的に病むし、人生鳴かず飛ばず。でも彼は唯一絵は描き続けた。

 


こんな生活になりたいわけではない。そこまで苦しい生活をできる自信も根性もない。あまちゃんなので。

じゃあ、なんでゴッホが脳裏に漂うのか。

 


死後でもいいから社会的評価を得たいのか? と思ったけど、社会的評価は生きているうちに得たいよ。そりゃそう。自己認証欲求がアリゾナ海溝ほど深いから。

 


じゃあ一体何〜と思っていました。

 


古典ラジオを聴いて、社会評価を得なければいけないという脅迫概念は今の社会が作り出しているものであって、べつに気にしなくてもいいものであり、それを気にして人生や思想を固めてしまう必要は皆無。

 


うんうん。

 


死後であれゴッホのように高評価を得たいわけでもない。

 


うんうん。

 


わたしは、好きなものをずっと誰の目も気にせずのびのびとし続けられる環境に自分を置き、はたからみると放蕩人だと思われても、うるせーこれが俺の人生だ口出しするんじゃねぇ! という精神を身につけたいんだ。

必要以上に他者に評価を阿るのではなく、自分自身をいいよ! と全肯定し邁進したいんだ。

 


だって、そういう立場の私を揶揄する人々は、近代社会によって作られた価値観のフレームワークでしか、物事を捉えることをしなかったのだから。

私はありがたいことにとっぴもない考えに対していいじゃん! って思えるポジティブさがあり、そういうコンテンツを手に入れられる社会にいる。

まあ、思想が偏ることもあるけど、偏っていることを認知できるとまだ思えているのでましかもしれない。

 


だから私はゴッホになる。

 


ハロワやサイトで就職活動する社会人としてまともな自分を俯瞰して思いました。

もっとギグワーク的に、そしてやりたいことだけをやってもいいんだよ。人生って。死ぬ時のあれもこれもできなかったっていう後悔は本当に嫌だもん。